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2009年05月15日

本土復帰37年

今日は、私たち うちな~県民にとっては

忘れられない 復帰記念日なのです。


今年は、昭和47年5月15日に復帰してから

本土復帰37年目


本土復帰37年
(祖国復帰闘争碑)

普天間基地の名護市辺野古への新たな基地建設で未だに揺れている状況の沖縄

画像は、沖縄の北の岬(辺土岬)の先端には

「祖国復帰闘争碑」がある。

そこには、こう書かれている。

全国のそして全世界の友人へ贈る。


吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。
打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。

“鉄の暴風”やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、
一九五二年四月二八日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬された。

しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、
全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。

見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二七度線を断つ小舟は船出し、
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。
今踏まえている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。
一九七二年五月一五日、沖縄の祖国復帰は実現した。
しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。

しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。

闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、
決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、
生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。

1976/4 沖縄県祖国復帰協議会 碑文 第3代会長 桃原用行

沖縄を返せ
かたき土を破りて
民族のいかりにもゆる島
沖縄よ

我らと我らの祖先が血と汗をもって
守りそだてた沖縄よ

我らは叫ぶ沖縄よ
我らのものだ沖縄は
沖縄を返せ 返せ 沖縄を返せ


日本復帰署名運動開始。8.20署名運動終了。署名該当者数276677名のうち
 199356名が署名、72.1%。


という事で、沖縄は  

アメリカ世(ゆ)大和世(やまとゥゆ)へと変わってきましたが

以前、基地の重圧・県民所得や高い失業率は変わりがありませんが・・・・


ワタシも好転するように願っている一人です。



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Posted by MAGI at 09:20│Comments(2)うちな~びけ~ん
この記事へのコメント
毎年この文章を読むたびに
しっかりとヤマト人として
この復帰の日や6月23日を胸に刻まないといけない
と思います。
(勝手に自分のブログにリンクしてしまいました~すまんね)

こうして云い続けること、歴史を忘れないことの大切さを
学んでます~ありがとう。
Posted by たるー(せきひろし)たるー(せきひろし) at 2009年05月16日 10:30
たるーさん

コメントありがとうございます。

今は、私たち世代も戦争をしりません。
でも、武器を持つことが恐ろしいこと
人間と人間がいがみあうことがいけない
ことを教えるのは文字だけでも教えて
いかないといけないと思います。

同じ歴史を繰り返してはいけない・・・

コメントありがとうございます。

今、ふるさと歌自慢大会から帰ってきたばっかです。
Posted by MAGI at 2009年05月16日 21:41
 
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